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やきもの文化の軌跡 ~桃山から江戸初期~
桃山時代から江戸初期にかけての陶磁器事情
桃山時代から江戸時代初期にかけての約50年間は、日本の陶磁器にとって大きな変革期でした。この時期に日本の各地で新しい窯が次々と生まれ、個性豊かな焼き物が花開いたのです。
朝鮮陶工たちの渡来と新たな技術
この変革を支えたのは、文禄・慶長の役(1592年〜1598年)で日本へ渡来した朝鮮の陶工たちでした。彼らの高い技術は、日本の各地で新しい焼き物文化を築く原動力となりました。
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肥前(佐賀・長崎):1598年、多くの陶工が肥前に移り住み、唐津焼が盛んになりました。この唐津焼は、日本の日常使いの陶器に大きな影響を与えました。
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高取焼と上野焼:1600年には朝鮮の陶工、八山が筑前(福岡)で高取焼を、1602年には尊楷が豊前(福岡)で上野焼を始めました。
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萩焼:1603年、李勺光と李敬の兄弟が長門(山口)で萩焼を始め、茶人たちに愛されるやわらかな焼き物が誕生しました。
日本独自の磁器、有田焼の誕生
日本の陶磁器の歴史において、最も重要な出来事の一つが磁器の製造開始です。
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李参平の偉業:1616年、朝鮮から渡来した陶工、李参平が肥前・有田の泉山でついに白磁の原料となる陶石を発見しました。そして、日本で初めて磁器の生産を成功させます。これによって、のちの有田焼の基礎が築かれました。
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柿右衛門の彩色技術:1621年には、酒井田喜三右衛門(後の初代酒井田柿右衛門)が有田で白磁の焼成を始め、後の赤絵(色絵磁器)へと繋がる技術を確立しました。
この磁器の誕生は、それまでの陶器中心だった日本の焼き物界に革命をもたらし、日本の陶磁器が海外へ輸出されるきっかけにもなりました。
その他の地域の発展と新たな窯
この時期には、他にも各地で独自の焼き物が生まれています。
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薩摩:島津義弘の帰国に伴い、帖佐焼が廃れて加治木に御里窯が生まれ、1620年には竪野窯が開窯しました。
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小代焼と八代焼:1632年には、上野焼を始めた尊楷が肥後(熊本)で八代焼を始め、同じく肥後で小代焼も作られるようになりました。
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伊賀焼:藤堂藩主の庇護のもと、伊賀焼が発展しました。
このように、1598年から1641年までの約40年余りで、日本の焼き物は多様な発展を遂げ、各地で独自の個性を持った名品が次々と生み出されていきました。
価値あるものを、価値あるままに。
伝統工芸の文化・歴史を未来にリレーするために、
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