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やきもの文化の軌跡 ~奈良時代以前から平安期~

奈良時代以前〜平安期のやきもの
大化改新と陶器
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大化2年(646) 改新の詔が発せられ、重要な統治改革とともに「調」として地方から陶器を納める制度が整う。土器はすでに国家システムの中で役割を担う存在となっていた。
奈良時代の展開
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711年 僧・行基が「蹲瓦」を製作し、瓦や製陶技術を諸国に広めた。
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天平宝字年間(757〜765) 伊賀で「丸柱焼」が始まる。この焼き物はのちの伊賀焼へとつながる。
平安時代初期
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905年 『延喜式』により御器調進の制が定められ、大和・美濃・備前・讃岐など十国が陶器を納める役割を負った。やきものが朝廷祭祀や日常食器として国家管理の対象となる。
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935年 承平・天慶の乱勃発。社会の動乱があった時期にも、全国の窯業は地方に根づき続ける。
中世に花開くやきもの
灰釉・古窯の誕生
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1016年頃 猿投山西南麓で灰釉陶が盛んにつくられる。焼締めに釉をかけた中世陶器の始まりであり、瀬戸焼の前史にあたる。
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1145年頃 渥美古窯が活動を開始。壺・瓶などの実用品を中心に生産し、遠く東北へも流通した。
鎌倉時代と技術革新
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1185年 京都南の深草に瓦・土器を焼く窯を開設。都の建築需要に応える。
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1192年 源頼朝が鎌倉幕府を開く。同時期に宋から学んだ「加藤四郎」が尾張・瀬戸で開窯し、日本ではじめて本格的な陶器(釉薬を用いたやきもの)を焼いたと伝えられる。これが「瀬戸焼」の起源。
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弘安年間(1278〜1288) 近江で信楽焼が始まる。土味を活かした素朴さが特徴。
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1293年 三代加藤藤三郎〈景国〉が金華山窯を開く。瀬戸窯業の発展を支えた。
室町時代と六古窯の成立
南北朝時代のやきもの
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正安年間(1299〜1302) 深草の瓦工が製造権をめぐり統制を受けた記録が残る。瓦・陶業が都市社会に組み込まれていたことを示す。
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1321年 遠藤藤右衛門が美濃で岐山焼を開始。後の美濃焼の源流となる。
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1328年頃 瀬戸で天目釉(黒釉)の陶器が登場。中国宋・元の茶器文化を受容した画期的な技術だった。
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建武年間(1334〜1338) 足利尊氏が室町幕府を開く時期に、伊賀で「古伊賀」と呼ばれるやきものが始まった。茶陶文化へとつながる重要な出発点。
室町の発展
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1392年 南北朝合一。統一王権の下、やきものも生産地ごとに多様化。
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応永年間(1394〜1428) 備前で伊部焼(備前焼)が始まる。長く続く無釉焼締め陶の伝統へ。
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宝徳年間(1449〜1452) 京都・清閑寺に音羽屋九郎石衛門が窯を築く。都の茶人・公家文化と結びつき、京焼の源となる。
コラムまとめ
大化改新の頃、陶器はすでに国家の税として納められていた。奈良・平安期には宮廷や寺院造営で需要が拡大し、中世には灰釉や信楽・備前など後世に「六古窯」とされる焼き物が興った。鎌倉〜室町期は、宋からの技術や茶の湯文化の広まりもあり、瀬戸を中心に釉陶の技術が定着。やきものは単なる生活必需品にとどまらず、日本文化を象徴する美の領域へと成長していったのである。