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◆骨董コラム◆時代ごとにスターを輩出した日本美術最大のプロ集団

狩野派のツボ

室町に始まる狩野派

狩野派の祖・狩野正信は、室町幕府8代将軍・足利義政に仕えました。中国の水墨画の峻厳さに、日本的な柔らかさを加えた画風が特徴です。その“親しみやすい新しさ”が将軍の心をつかみ、狩野派は幕府御用絵師としての立場を確立しました。

装飾性と政治力

正信の子・狩野元信は、一層装飾性の高い画風を得意とし、同時に優れた政治力を発揮。将軍家だけでなく、公家や有力寺院の支持も獲得し、狩野派を大きく広げていきます。

天下画工の長・永徳

戦国の世を生きた4代目棟梁・狩野永徳は、ダイナミックな画面構成で知られます。障壁画に描かれた樹木は力強く画面の外へ伸び出し、戦国武将たちにふさわしい豪壮な世界を描き出しました。狩野派はこの時代、名実ともに「天下画工の長」となります。

江戸での御用絵師と京狩野

江戸幕府の成立とともに、狩野派は江戸へ拠点を移し、狩野探幽らが将軍家の要望通りの作品を描き続けました。そのため、画風はやや保守的に。一方で、京都に残った「京狩野」では自由な試みが行われ、狩野山雪らが個性的な作品を生み出しました。

芳崖と近代日本画への架け橋

狩野派の最後を飾るのが明治時代の狩野芳崖です。彼は日本画伝統の上に、西洋の写実や明暗法を取り入れました。代表作「悲母観音」では輪郭線を用いず、背景とモチーフを自然に溶け合わせる新しい技法を展開。これが“近代日本画の父”と呼ばれる所以です。


狩野派は約400年にわたり、権力と時代のニーズに応じながら進化を続け、最後は近代絵画への扉を開いた存在でした。その歴史は、日本美術の大動脈ともいえる壮大なドラマなのです。

 


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画像出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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