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幕末から明治時代にかけての日本の陶磁器・窯業史:新窯の興隆と近代化の波

この期間は、江戸幕府の終わりと明治維新という激動期を経て、日本の陶磁器産業が地方の伝統を継承しつつ、海外技術の導入や組織的な近代化へ大きく舵を切った時代です。
新窯の誕生と地方の動き (1865年〜1870年代前半)
明治維新(1868年)を挟んだこの時期は、各地で新しい窯が興り、地方文化としての陶芸が活発化しました。
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1865年(慶応元年):
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保命酒屋十代中村吉兵衛が安芸(広島県)で鞆津焼を始めます。
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1866年(慶応2年):
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長門(山口県)で小月焼が始まります。
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津田藤兵衛が周防(山口県)で堂道焼を始めます。
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1867年:
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画家深谷半十郎〈錦岳〉が瀬戸の陶工・鬼頭庄七を招き、深喜亭焼を焼かせます。
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松林長兵衛が山城(京都府)で朝日焼を始めます。
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【慶応年間(1865〜1868年)】:
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陸中の台焼、尾張の古戦場焼、出雲の報恩寺焼、伊予の七折焼、土佐の峴山焼など、多くの地方窯が始まります。
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1868年(明治元年):
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明治維新が成り、日本の社会構造が大きく変化します。
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ドイツ人化学者ワグネルが来日し、酸化コバルトや石炭を利用した有田磁器の改良に尽力。近代技術導入の先駆けとなります。
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1870年(明治3年):
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原隆治が新潟で太子堂焼を始めます。
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鳥井京山が東京向島で楽焼の京山焼を始めます。
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宮川香山が横浜で真葛焼を始め、後に海外で高く評価される超絶技巧を発展させます。
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1872年(明治5年):
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蝦夷焼の本多桂次郎が小樽焼を始めます。
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錦光山宗兵衛が、外国人との間で京焼の取引きを開始し、輸出に乗り出します。
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1873年(明治6年):
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並河靖之が京都で七宝焼を始め、後に無線七宝で世界的な名声を得ます。
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イタリアの万国大博覧会に日本の陶器が出品され、国際的な評価の機会となります。
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産業化と近代組織の設立 (1874年〜1895年)
国内産業の振興が図られ、陶磁器産業も本格的な組織化、企業化へと進みます。
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1874年(明治7年):
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有田(佐賀県)に輸出を目的とした合本組織香蘭社が設立されます。
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1876年(明治9年):
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士族の授産(仕事を与えて生活を助けること)を目的として姫路に永世舎が設立され、姫路焼が始まります。
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1877年(明治10年):
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彦根の樋口角蔵・藤本孫九郎が円山湖東窯の北川窯を譲り受け、樋口焼を始めます。
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瀬戸二十七代惣四郎が死去し、ここに瀬戸陶師の家が途絶えます。伝統的な家督継承による陶業体制が崩壊する一つの象徴的な出来事です。
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西南戦争が始まります。
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1878年(明治11年):
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鈴木弥三吉が新潟で弥三吉焼を始めます。
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保斗謙吉が新発田焼(保科焼とも)を始めます。
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1879年(明治12年):
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涛川惣助が東京で七宝焼を始めます。並河靖之と並び、近代七宝の双璧と称されます。
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有田で有田精磁会社、九谷で九谷陶器会社といった企業組織が設立されます。
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1881年(明治14年):
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伊香保焼(仙果焼とも)が始まります。
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1882年(明治15年):
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ワグネルが東京牛込に陶窯を開き、加藤友太郎に作陶させます。
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1883年(明治16年):
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ワグネルが窯を加藤友太郎に譲り、友玉園と称されます。
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初代真清水蔵六が56歳で没します。
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1885年(明治18年):
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農商務卿により、柿右衛門の功績が追賞されます。
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1887年(明治20年):
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佐賀県小田志で含珠焼が始まります。
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京都陶器株式会社が発足し、生産・流通の組織化が進みます。
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1892年(明治25年):
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大日本窯業協会が設立され、全国的な業界団体として技術交流や産業振興を担います。
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1893年(明治26年):
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富山県で高宮焼が始まります。
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1894年(明治27年):
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日清戦争が起こります。
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1895年(明治28年):
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産業の担い手育成のため、瀬戸に町立陶器学校、有田に徒弟学校が設立されます。
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近代化の完成期と技術革新 (1896年〜1904年)
公的な研究機関の設立や、欧米の最新技術の導入により、日本の窯業は世界に通用する近代産業へと変貌を遂げます。
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1896年(明治29年):
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京都市陶磁器試験所が設立されます。公的な機関が陶磁器の技術研究・開発を担うようになります。
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1904年(明治37年):
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日本陶器会社(現ノリタケカンパニーリミテド)が、生産効率の高い欧風式石炭窯を採用します。これは、日本の陶磁器生産における本格的な近代化を象徴する出来事です。
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日露戦争が起こります。
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変革の50年間が陶磁器産業にもたらしたもの
1865年から1904年までの約40年間は、日本の陶磁器・窯業が伝統的な家内工業から近代的産業へと進化した劇的な時代でした。
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新窯の勃興と多様化: 慶応年間を中心に、日本各地で新しい窯が次々と生まれました。これは、地方文化の活発化と同時に、新しい需要に対応しようとする個人の熱意を示しています。
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海外からの影響と輸出の加速: ドイツ人ワグネルによる技術指導(酸化コバルト、石炭窯の利用)は、有田をはじめとする主要産地の近代化を促しました。また、宮川香山の真葛焼や並河靖之・涛川惣助の七宝焼に代表される、海外市場を強く意識した作品が誕生し、輸出産業としての地位を確立しました。
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組織化と人材育成: 香蘭社や有田精磁会社、京都陶器株式会社といった企業・共同組織の設立が進み、生産・流通の効率化が図られました。さらに、陶器学校や試験所の設立は、技術を科学的に研究し、後継者を組織的に育成する近代教育システムが導入されたことを意味します。
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