
お役立ちコラム
COLUMN
大正・昭和戦前期の動揺と戦後の復興:日本の陶芸がモダンアートへ至る道

この期間は、近代化が進む中で陶芸の「芸術性」への意識が高まり、戦時統制による試練を経て、戦後の復興とともに国際的な評価を獲得していく時代です。
芸術化と地方新窯の興隆(1905年〜1921年)
この時期は、有名作家の指導による地方での開窯や、若手陶工による新たな組織の設立が目立ちます。特に、国際的な交流の芽生えが重要なポイントです。
- 1905年:
- 山本直良が、横浜の著名な陶工・宮川香山を招き、軽井沢(長野県)で三笠焼を始めます。名工の指導による地方での窯業振興の例です。
- 1909年:
- 京都の陶工泉山了谷が、北海道岩見沢で了谷焼を始めます。京都から遠隔地への技術伝播を示します。
- イギリス人陶芸家バーナード・リーチが来日します。日本の工芸界に大きな影響を与え、後の民藝運動のきっかけの一つとなります。
- 1910年:
- 長田幸松・小坂虎松が、石川県で能山焼を始めます。
- 1912年:
- 大和作太郎〈松緑〉が松緑焼を始めます。
- 1913年:
- 石川県の陶工亜仁太松が、京都東山に蛇ヶ谷案をひらきます。
- 1914年:
- 大河内正敏らが古陶磁研究の彩壺会を発足。単なる生産から、陶磁器の歴史や美に対する学術的・芸術的な研究への意識が高まります。
- 1916年:
- 野崎外三郎らが京都から原料を求めて札幌(北海道)で伏古焼を始めます。
- 1917年:
- 中村友作が京都の陶工を招き、金沢(石川県)で梅山焼を始めます。
- 1919年:
- 京都に赤土会が発足します。若手陶工や芸術家によるグループ活動が活発化し、陶芸の芸術性を追求する動きが強まります。
- 1921年:
- 西片蔵多が群馬県大間々町で開窯。当時の知事により関東焼と命名されます。
動乱期:震災、研究、そして戦争(1923年〜1945年)
関東大震災と世界恐慌を経たこの時期は、陶磁器研究の拠点設立と、やがて来る戦時体制による統制が特徴です。
- 1923年:
- 関東大震災が発生。東京・横浜周辺の窯業にも甚大な被害を与えます。
- 1924年:
- 東洋陶磁研究所を設立します。東洋の古陶磁に対する本格的な研究機関が誕生し、後の日本の陶磁史研究の礎となります。
- 1925年:
- 阪本陶隠が金光焼を始めます。
- 【大正年間(1912〜1926年)】:
- 篠田鉄石が長野県で女鳥羽焼を始めます。
- 1929年:
- 石川県で小木焼が始まります。
- 1931年:
- 東洋陶磁研究所が機関誌**『陶磁』を創刊**します。これにより、学術的な研究成果が広く共有されるようになります。
- 1937年:
- 帝国芸術院を設立します。陶芸家も国家的な芸術家として評価される体制が整います。
- 1941年:
- 太平洋戦争が始まります。物資統制が強化され、窯業生産にも大きな影響が出ます。
- 1943年:
- 日本美術工芸統制会発足します。国家による陶磁器を含む美術工芸品の生産・流通が厳しく管理されます。
- 1945年:
- 東洋陶磁研究所が解散し、太平洋戦争が終結します。陶磁器産業は戦後の再建へと向かいます。
戦後の復興と国際化(1946年〜1964年)
終戦後、陶芸は自由な創作活動を取り戻し、新たな陶芸団体が発足。芸術としての地位を確固たるものとし、国際的な舞台へと進出します。
- 1946年:
- 日本陶磁協会が発足します。戦後の陶磁器界をリードする中心的な団体が設立されます。
- 1947年:
- 新匠会、京都陶芸クラブ、四耕会など、多様な陶芸団体が発足します。これは、戦時統制から解放された陶芸家たちが、それぞれの芸術思想に基づいた自由な創作活動を再開したことを示します。
- 1953年:
- 板谷波山が文化勲章を受賞します。陶芸家として初の文化勲章受章であり、陶芸が単なる工芸ではなく、国家が認める**「芸術」**としての地位を確立した象徴的な出来事です。
- 1962年:
- 日本名陶百選展が開催されます。
- 1964年:
- 日本で初めて国際陶芸展が開催されます。日本の陶芸が世界と交流し、評価を受ける時代に入ったことを示します。
伝統から現代アートへ
1905年から1964年までの約60年間は、日本の陶芸が「生活の器」から「芸術作品」へと大きく変貌を遂げた時代でした。
- 地方窯の独立と芸術志向: 宮川香山らを招いた地方の新窯開設や、赤土会などの設立により、陶芸家は単なる職人ではなく芸術家として自立を目指しました。
- 学術的基盤の構築: 彩壺会や東洋陶磁研究所の設立と機関誌**『陶磁』**の創刊は、陶磁器を歴史的・美術史的に研究する土台を築きました。
- 戦時下の試練と戦後の飛躍: 戦時統制下の困難を乗り越えた後、日本陶磁協会や各種団体が発足し、自由な創作環境が整備されました。板谷波山の文化勲章受賞は陶芸の芸術的地位を確立し、国際陶芸展の開催は、日本の陶芸が世界の現代アートの文脈へと踏み出す契機となりました。