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やきもの文化の軌跡 ~戦国時代 ~

戦国時代は戦と茶の文化が渾然一体となり、日本のやきものが大きく飛躍した時代でした。武将たちが陶工を保護し、茶人が新しい美意識を示すことで、各地に名窯が生まれていきます。その流れを追うと“戦国やきもの絵巻”が見えてきます。


戦国やきものの歩み

  • 1480年 志野宗信が志野焼を始めたと伝えられる。美濃の山々から立ち上る炎とともに、日本独自の白釉茶陶の原点が芽生えた。

  • 永正年間(1504〜1521) 帰化人・阿米夜が楽焼を発明。素朴で茶人に愛された茶碗文化がここからスタート。また遠江の戸呂焼、長門の萩焼も始まった。

  • 天文年間(1532〜1555) 秋田で五城目焼が始まり、北国にも窯業の灯がともる。

  • 1560年 織田信長、桶狭間で今川義元を討つ。同じ時代、土の戦場でも新たな窯が次々と開かれる。

  • 1563年 信長が瀬戸の陶工六人を「瀬戸六作」と定めて保護。茶と器の政治利用が動き出す。

  • 1573年 加藤与三右衛門が大平窯を開き、美濃焼の基礎を築く。

  • 1574年 加藤景直が高田窯を開く。また加藤源十郎が大萱窯を開き、気品ある雅陶を焼いた。この頃、初代長次郎が千利休の指導で楽焼を始め、茶の湯に寄り添うやきものが誕生した。

  • 1582年 羽柴秀吉が備前の陶工たちを保護し「備前六家」として厚遇。戦国大名にとって陶工は、文化の武器でもあった。

  • 1583年 美濃の久尻窯が開かれる。

  • 1585年 古田織部は「正瀬戸十作」を選び、瀬戸の陶工たちを組織化。茶器の世界にも人材選抜の風が吹いた。

  • 1588年 豊臣秀吉が楽焼・初代長次郎に「楽」の金印を授与。これは正真正銘の茶陶ブランド認定。秀吉はこの頃、各地で大茶会を開き、やきもの文化を国威に高めていった。

  • 1589年 初代長次郎逝去。楽焼の祖として後世まで名を残した。

  • 1591年 千利休が自害。茶の湯の巨星の死とともに、戦国茶陶の一つの時代が幕を閉じる。この間、堺では湊焼が始まり、織部焼・常滑焼・丹波焼など、次代を象徴する窯も動き出していた。


まとめ

この時代のやきものは、武将の庇護と茶人の美学に支えられて栄えました。信長は瀬戸、秀吉は備前、利休は楽と、それぞれが自らの政治や趣向に陶工を組み込み、茶碗や水差しを“もう一つの武器”として使ったのです。戦国を生き抜いた茶陶は、やがて桃山文化を象徴する華となり、志野、織部、楽、萩、そして備前と、日本陶器史に残る名窯が次々と誕生しました。

画像出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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